DIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)を経営するDIC株式会社は、同館を2025年1月に休館すると発表しました(2024年8月27日)。東京への「縮小移転」の可能性も検討されているとのことですが、「運営中止」の場合、同館が所蔵している、モネやピカソ、シャガール、ロスコ、ステラなどの多くの美術作品の行方が心配です。
「DIC川村記念美術館」なぜ休館?
美術館運営には、作品の収蔵・維持・展示に多額の運営費用がかかります。
コロナ禍を経て、収益を改善させるのは、地方の美術館にとって、とてもたいへんなことです。
ただ、同社によると、維持費や企画運営費などのコストがかさみ、近年は赤字運営が続いていたという。美術館は「資本効率という側面で必ずしも有効活用されていない」とし、4月に外部人材で構成する「価値共創委員会」を設置。運営のあり方を検討してきた。(2024年8月31日 東京新聞)
赤字運営が続いていたとのことで、美術館運営の厳しい財政事情が伺えます。
企業として、本業の収益を優先させるとなると、美術館は大きな荷物と判断されるのも致し方ないところです。
また、投資家の意見も大きいようです。
投資家から経営改善策を迫られたときに、同館の収蔵する美術作品は、非効率な資産(簿価ベースで資産価値112億円)と見なされてしまいます(実際の市場価値は、1,000億円以上とも言われています)。
いずれにしても、本業の経営改善のため、移転縮小か閉館を迫られることになってしまったようです。
移転縮小の場合でも、その費用の捻出のため、ある程度の作品の売却は避けられないと思われます。
「DIC川村記念美術館」ってどんなところ?
DIC川村記念美術館は、千葉県佐倉市にある美術館です。
DIC株式会社が所有・運営しています。
DIC株式会社は、旧社名大日本インキ化学工業。
印刷インキや有機顔料を手がける化学メーカーです。
同館は、二代目社長の川村勝巳(1905-1999)が設立しました。
1970年頃から作品の収集を始め、国内でまとめて見る機会が少なかった20世紀美術のコレクションを充実させました。
アメリカの現代美術も早い時期に入手していたそうです。その後、1990年に同社研究所の敷地内で開館しました。
DIC川村記念美術館は、里山の緑に囲まれた場所に建っています。約3万坪の庭園をもち、美術鑑賞だけでなく、四季折々の木々や植物を愛でながら散策することも楽しい美術館です。
「DIC川村記念美術館」の収蔵作品
DIC川村記念美術館は、20世紀美術を中心に754点の作品を収蔵しています。
- レンブラント・ファン・レイン《広つば帽を被った男》1635年
- クロード・モネ《睡蓮》1907年
- パブロ・ピカソ《シルヴェット》1954年
- マルク・シャガール《赤い太陽》1949年
- サイ・トゥオンブリー《無題》1968年
- ジャクソン・ポロック《緑、黒、黄褐色のコンポジション》1951年
- フランク・ステラ《ヒラクラ Ⅲ》1968年
などなど、たくさんの著名な作品を収蔵しています。
また、マーク・ロスコ(1903–1970)の作品(7点)は、専用のロスコ・ルームで鑑賞することができます。
これらの作品は《シーグラム壁画》シリーズ(1958)と呼ばれるもので、30点制作されたうちの7点を、DIC川村記念美術館が収蔵しています。
ロスコ作品のみを展示する空間は、世界にたった4カ所しかありません。この空間が失われるのは、とても残念です。
かつては、バーネットニューマン《アンナの光》(1968)も収蔵しており、専用の部屋で鑑賞することができました。(2013年、売却済み。このニュースも、たいへんショックでしたが・・・)
「DIC川村記念美術館」の企画展(最後?)
- 会期 2024年9月14日(土)~2025年1月26日(日)
- 時間 9:30~17:00
- 休館日 月曜日・年末年始
- 一般 1,800円
- 学生・65歳以上 1,600円
- 高校生以下 無料
美術館の役割は、収益の多寡ではかれるものではありません。
また、企業が運営する美術館は、利益よりも地域の文化振興に貢献するという側面が強くあります。
美術館の運営は、企業やスタッフだけでなく、地域の方々や観光客、子供から大人までアートに出会いたいという多くの人々に支えられています。
身近に芸術に触れることができる環境の大切さに、失ってから気付くのでは、あまりにも残念です。
これまでのDIC川村記念美術館の活動に感謝しつつ、
創業者、設立者の意志を尊重し、また、日本の芸術文化振興のためにも、存続することを願っています。
この知らせを聞き、美術作品との出会いは一期一会だとあらためて感じました。
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